信じたかったのではない。——決めたくなかっただけだ。
僕はある時期、占いやパワーストーンに「根拠」を探していた。科学的に効くのか、統計的に当たるのか、——検索ワードを何度も打ち直しては、誰かが「効くらしい」と書いてくれているのを探していた。
今ならわかる。あのとき僕が本当に探していたのは、根拠ではなかった。——「自分で決めなくていい理由」だった。
この記事は、その話だ。
「信じる根拠」を探すときの脳の状態
人間は、何かを信じたいとき、「信じる根拠」を探す。——逆じゃない。
これはイェール大学のダン・カーハンが「文化認知理論(cultural cognition)」で示したことに近い。——人は、結論を先に決めてから、その結論を正当化する情報を集める生き物だ。
占いを信じたいとき、僕らは「当たった体験談」を探す。——「外れた体験談」は自然に目に入らない。これが確証バイアスと呼ばれる現象だ。
僕自身、ルチルクォーツを買うかどうか悩んでいたときにやっていたのは、まさにこれだった。——「ルチル 効果」で検索して、「効いた」と書いてあるブログを20個読んだ。「効かなかった」と書いてあるブログは、無意識にスキップしていた。
なぜ探していたか。——信じたかったからだ。
なぜ信じたかったか。——ここからが本題になる。
「信じたい」の正体は、「決めたくない」だ
心理学者のエーリッヒ・フロムは1941年に『自由からの逃走』という本を書いた。——人間は自由を手に入れたあとで、その自由の重さに耐えきれず、権威に身を委ねたくなる——という話だ。
フロムが書いたのはナチスの時代の話だが、——構造は、現代の僕らにも当てはまる。
僕らは、毎日膨大な選択をしている。——転職するか、結婚するか、別れるか、引っ越すか、今日の晩御飯は何にするか。小さなものから大きなものまで、判断の総量は、昔より圧倒的に増えている。
判断には責任が伴う。——決めたことがうまくいかなかったら、それは自分の責任になる。
この「責任の重さ」を、どこかに預けたくなる。——占い師、パワーストーン、宗教、師匠、メンター、星座、タロット——預け先は何でもいい。「これが僕にそう言った」という構造があれば、人は少し軽くなれる。
心理学者イーサン・クロスは『Chatter(チャッター)——頭の中の「独り言」をコントロールし、最良の行動を導くための26の方法』の中で、こう書いている。——「不安とは、頭の中の独り言が止まらなくなった状態だ」と。
頭の中でぐるぐる考え続ける。——AもBも怖い。決められない。誰か決めてくれ。——この状態のときに、「信じる根拠」は、外から見つかった「決めてくれる声」として機能する。
根拠が欲しいのではない。——声が欲しい。
僕がルチルを買った本当の理由
正直に書く。
2025年5月、僕がルチルクォーツを2週間悩んで買ったとき、——僕は「石の効果」を信じていたわけじゃない。むしろ、金運なんてないと思っていた。
じゃあ、なぜ買ったか。——「自分の流れを変える」という決断を、自分一人で下したくなかったからだ。
石を買う、という行為の中には、——「外部の力を借りる」という演出がある。僕はその演出が欲しかった。僕が変わるのではなく、石が僕を変えてくれる、という物語が欲しかった。
買ったあと、結果的に僕の行動は変わった。——けれど、行動を変えたのは、石ではない。「石を買った」という決断をした僕自身だ。
ただ、あのときの僕には、——「僕自身が変わる」という決断だけを単独で下すことが、重すぎた。
だから石を買った。——石は、決断の口実だった。
これは恥ずかしいことじゃない、と今は思う。——人間は、それくらい重いものを一人で持てない生き物だ。口実が必要だ。
「信じる」と「決める」は、別のことだ
ここでひとつ整理したい。
「信じる」と「決める」は、重なっているようで、別のことだ。
- 信じる = 外部の何か(石・占い・神)に力がある、という認識
- 決める = 自分が行動を選択する、という責任
「信じる根拠が欲しい」と僕らが言うとき、——たいていの場合、僕らは「決める勇気が欲しい」と言っている。
これに気づくと、次の一歩が少し変わる。
もし「信じる根拠」が見つからなかったら、——僕らは決められないのか? 違う。根拠がなくても、決めてはいい。
これは強がりじゃない。——根拠を待っていると、人生のほとんどの判断はできない。誰と結婚するか、どの仕事に就くか、どこに住むか——どれも「根拠」が揃ってから決めるものじゃない。
占いに行って、背中を押してもらってもいい。——ただし、押してもらったあとの一歩は、自分の足で踏む。ここが肝心だ。
FACTFULNESSの話——「根拠」はデータとは別物
ハンス・ロスリングの『FACTFULNESS(ファクトフルネス)』という本を、何年か前に読んだ。
この本のメッセージは一行で書ける。——「人間は、世界を実際より悪く見たがる」。
興味深いのは、ロスリングが示したのが「正しいデータ」だった、ということだ。——彼は、感情的な思い込みではなく、「事実に基づく」世界の見方を提示した。
スピリチュアルや占いを信じている人がこの本を読むと、——違和感を持つかもしれない。「信じていたものがデータで否定される」感覚になる人もいるだろう。
でも、僕がこの本から受け取ったのは、別のメッセージだった。——「データで見る」ことと「信じる」ことは、必ずしも対立しない。
FACTFULNESSは、「信じる前に、まずデータを見ろ」と言っている。——占いを信じる前に、自分がどれくらい使ったか計算してみろ、ということだ。
事実を見たうえで、それでも石を持ちたければ、持てばいい。——事実を見たうえで、それでも占いに行きたければ、行けばいい。
「見てから、決める」——これが、僕がFACTFULNESSから学んだ一番大きなことだ。
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じゃあ、これからどうするか
ここまで読んで、「じゃあ、信じちゃいけないのか」と思った人もいるかもしれない。
違う。——信じていい。
ただ、「信じる根拠が欲しい」という気持ちが湧いたときに、——もう一歩だけ深く、自分に聞いてほしい。
「僕は、根拠が欲しいのか?」——それとも、「決めなくていい理由が欲しいのか?」
もし後者なら、——根拠を探しても、たぶん見つからない。見つかっても、安心は長続きしない。次にまた「もっと強い根拠」を探しに行くことになる。
このループから抜ける方法は、ひとつしかない。——「根拠がなくても、決めていい」と自分に許可することだ。
石を持ってもいい。——持たなくてもいい。占いに行ってもいい。——行かなくてもいい。決めるのは、いつだって自分だ。
「僕もそうだった」と書いたのは、まさにここだ。——僕も、2週間悩んでルチルを買ったあの日、本当に欲しかったのは石ではなかった。「決めた」という感覚そのものだった。
石は、そのあとずっとデスクに置いてある。——でも、石がなくても、たぶん僕は前に進めた。
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——「決めた」という感覚そのものを育てる話。
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