コーヒーを淹れることが瞑想だった——スターバックスで4年半働いて気づいた「今ここ」の作り方
僕がマインドフルネスという言葉を正しく知ったのは、30代の半ばを過ぎてからだ。
Apple Watchの呼吸アプリに手を乗せて、青い円がふくらんで縮むのを眺めていたある朝、ふいに「ああ、これはあの感じだ」と思った。
スターバックスで、エスプレッソを抽出していた25秒の感じ。
2000年代の前半、僕は札幌のスタバで4年半働いた。研修の仕事に就くずっと前の話だ。まだSNSもスマートフォンもない、業務用エスプレッソマシンと、スチームピッチャーと、アナログのタイマーしかない毎日だった。
マインドフルネスという言葉は、当時の僕の語彙にはなかった。でも振り返ると、あの4年半、僕はほぼ毎日、何時間も瞑想していたのだと思う。
この記事は、その話だ。
エスプレッソ25秒の、ほとんど宗教的な静けさ
スターバックスのエスプレッソは、きっちり計算された時間で落ちる。
ポルタフィルター(抽出器具のカゴ)に豆を詰め、タンパーで水平に、適正な圧で押す。マシンにセットして、抽出ボタンを押す。そこから約25秒。カウンターの上のショットグラスに、琥珀色の液体が、糸のように垂れ落ちていく。
この25秒のあいだ、バリスタはショットから目を離さない。
色を見る。最初は濃い茶色、途中から明るい蜂蜜色になり、やがて薄い金色の「ブロンド」に変わる。この色が変わった瞬間に抽出を止めないと、エスプレッソは苦くなりすぎる。
タイマーも見る。25秒より早ければ豆が粗い。遅ければ細かすぎる。次のショットのために、グラインダーの目盛りを微調整する。
香りも嗅ぐ。ちゃんと抽出できたショットは、ナッツとキャラメルと、ほんの少しだけ柑橘のような香りが立つ。
——つまりこの25秒、僕の脳は、ほかのことを考えられない。
昨日の上司の小言も、明日のシフトの不満も、友人との約束も、全部入り込む余地がない。色・時間・香り・次の動作。目の前の情報だけで、作業記憶がいっぱいになる。
Jon Kabat-Zinn は、マインドフルネスを「意図的に、今この瞬間に、判断せずに注意を向けること」と定義した。MBSR(マインドフルネスストレス低減法)のカリキュラムでは、座って行うフォーマル瞑想と、日常動作のなかに意識を持ち込むインフォーマル瞑想(informal practice)の両方が推奨される(Kabat-Zinn, 1990)。
インフォーマル瞑想は「日常生活のあらゆる活動のなかで、連続した気づきを育てる練習」だと説明される(Greater Good, UC Berkeley/Kabat-Zinn 解説記事)。食器を洗う、歯を磨く、階段をのぼる——そういう小さな動作を、意識を向ける練習の場にする。
あの25秒は、たぶんその条件を、全部満たしていた。
スチームドミルクの、手のひらの温度
エスプレッソ以上に、僕が好きだった作業がある。
スチームドミルクだ。
ステンレスのピッチャーに冷えたミルクを注ぎ、スチームワンドを浅く差し込んで、蒸気を入れる。最初の数秒で、空気をふくませて泡を作る。それから深く差し込み直して、渦を作って温度を上げていく。
このとき、右手はピッチャーの底をずっと握っている。温度計ではなく、手のひらの感覚で判断する。
冷たい → ぬるい → 温かい → 熱い、の境目。だいたい60〜65度で止めないと、ミルクの甘みが飛ぶ。僕たちはそれを「ミルクが死ぬ」と言っていた。
手のひらの感覚だけで、この境目をつかむ。
今振り返ると、これは身体感覚を使った注意集中の練習そのものだ。呼吸を数える代わりに、手のひらの温度を追う。音を聞く(最初の「シュー」という空気の音、後半の低い渦の音)。ピッチャーの重さを感じる。
エレン・ランガーは、マインドフルネスを「新しいことに能動的に気づくプロセス」と定義した(Langer, 1989)。瞑想でなくてもいい。目の前のものの、微細な変化に気づくだけで、人は「今ここ」に戻る——というのが彼女の主張だ。
彼女は「あなたは本当に、朝コーヒーがないと起きられないと思っているのか?」と問う。毎日同じだと思っている動作のなかに、実は毎日違うものがある。そこに気づけば、それがもう瞑想だ、と。
ミルクは毎日違う。その日の気温で、冷蔵庫の温度で、ピッチャーの個体差で、微妙に熱の入り方が変わる。同じ作業を4年半繰り返しても、同じ日は一度もなかった。
ハンドドリップの「蒸らし」という、30秒のあいだ
働いていた後半の時期、札幌の店にも一時期「クローバー」という高価な抽出マシンや、ハンドドリップの講習が入ってきた時期があった。
ハンドドリップで一番好きだったのは、蒸らしの30秒だ。
豆を挽いて、ドリッパーにセットし、中央にお湯を少しだけ注ぐ。豆全体がじっとり湿る程度。そこで注湯を止めて、30秒、ただ待つ。
ドリッパーのなかで、豆が膨らんでいく。新鮮な豆ほど大きく膨らむ。表面にぽつぽつと泡が立ち、ゆっくり、ゆっくり収まっていく。
この30秒は、何もできない。注湯を足せば、蒸らしが崩れる。スマホを見たら(当時はまだ存在しなかったが)、豆の膨らみ具合を見逃す。ただ、待つ。
ミハイ・チクセントミハイは、人が最も幸福を感じる状態を「フロー」と名づけた。挑戦と能力のバランスが取れて、時間感覚が歪み、自己意識が消え、行為そのものが目的になる状態(Csikszentmihalyi, 1990)。
フロー研究の興味深い点は、ルーティン作業でもフローは起きることだ。工場労働、家事、単調な作業のなかでも、自分で小さな挑戦を見出し、微細な注意を向ける人は、フローに入ることができる(研究レビューはPMCに複数まとめられている)。
「自己目的的(オートテリック)」という言葉をチクセントミハイは使った。外部の報酬ではなく、その行為そのものが目的になっている状態。
蒸らしの30秒は、たぶんそれだった。お客さんを待たせている、とか、レジの列、とか、一切忘れて、豆が呼吸するのを見ている。給料が出るから見ているわけじゃない。見ていること自体が気持ちいいから、見ている。
「脳内の雑音を消す」は、特別な技術じゃなかった
OwnSoulを始めてから、「脳内の雑音を消す」という言葉をくり返し書いている。
僕にとって、これは抽象的なコピーじゃない。手のひらの温度を追っているとき、本当に雑音が消えた。SNSの通知、上司の機嫌、先月の売上目標、将来の不安——全部、ピッチャーの金属の冷たさと、蒸気の音の前では、一時停止した。
あの4年半で、僕はたぶん、自分の脳の取扱説明書を、無意識に書いていた。
「動作に没頭すると、雑音は消える」
「手のひらで温度を測ると、頭が静かになる」
「待つ時間は、不安な時間じゃなく、気持ちいい時間にできる」
この取説を、30代以降の僕は、占いやルチルやApple Watchやヨガマットで、もう一度学び直しているだけな気もする。
——と書くと、スタバ時代が原点のように聞こえるかもしれないけれど、そういうつもりでもない。
原点というより、証拠だ。
僕は、瞑想の素養がない人間じゃない。僕だけでなく、あなたにも、たぶんそういう時間がどこかにあった。
受験勉強中に、ずっと計算問題を解いていて気づいたら3時間経っていた、あれ。
編み物やプラモデルや、釣りの浮きを見ている時間。
赤ちゃんのお風呂を入れている、あの集中。
走っているとき、呼吸と足音しか聞こえなくなる瞬間。
あれが、非公式の瞑想だった。
瞑想ができないのではなくて、瞑想だったものを、瞑想だと呼ぶ言葉を持っていなかっただけだ。
占いで未来を考える前に、目の前の動作に戻る
ここからが、OwnSoul的な本題だ。
占いが気になるとき、SNSを開いてしまうとき、将来が不安になって眠れないとき——脳は、まだ起きていないことの中にいる。未来や、他人の視線や、過去の後悔のなかを、高速で走り回っている。
この状態から「今ここ」に戻る方法として、マインドフルネスアプリや座禅は、もちろん効く。
でも、もっと手前の選択肢がある。
コーヒーを淹れる。
ドリップでなくてもいい。インスタントでもいい。お湯を沸かして、カップを温めて、粉を入れて、注いで、少し待って、飲む。この一連の動作を、いつもよりほんの少しだけ、丁寧にやる。
手のひらに伝わるカップの熱を、1秒長く感じる。
湯気が立ちのぼる方向を、目で追う。
最初のひと口を、口のなかで2秒とどめてから飲む。
たぶんこれで、3分か4分は、未来のことを考えずに済む。
3分で人生が変わるわけじゃない。でも、脳内の雑音のチャンネルを、一回切ることはできる。
それを1日に3回やれば、10分だ。10分、未来を考えない時間を作るだけで、占いサイトを開く指の動きが、少し鈍くなる。
占いを否定しているんじゃない。順番の話をしている。
「未来を知りたい」と思う前に、「今、目の前のコーヒーの匂いがわかる」状態に戻す。そのうえで占いに行くなら、占いの答えも、もっと落ち着いて受け取れる。
僕がスタバで4年半かけて体に入れたのは、たぶんその順番だ。
最後に——仕事を、瞑想に変えてしまう
前職時代の13年間、僕はもうバリスタではなかった。でも、接客中の「お客様の次の質問を予測する」数秒や、研修で100人の受講者の反応を読む瞬間にも、同じ感じがあった。
今は、独立して、一人で記事を書いている。キーボードを打つ手の感覚、文字が画面に並ぶ速度、言葉を選ぶときの、ほんの一瞬の静けさ——ここにも、あの25秒の気配がある。
仕事が瞑想になるのは、特別な職業の人だけじゃない。
あなたの仕事のなかにも、きっと、色を見て、時間を数えて、香りや手触りで判断している数十秒が、必ずある。
それを「退屈なルーティン」と呼ぶか、「非公式の瞑想」と呼ぶか。
呼び方を変えるだけで、同じ作業が、脳内の雑音を消す装置に変わる。
僕はそれを、札幌のスタバで教わった。授業料は、時給800円と、4年半の時間と、腱鞘炎ぎみの手首。悪くない投資だったと、今は思う。
参考文献・関連研究
- Jon Kabat-Zinn (1990). Full Catastrophe Living. MBSRにおけるformal practiceとinformal practiceの定義。
- Ellen J. Langer (1989). Mindfulness. 瞑想によらないマインドフルネス定義、「新しいことに気づく」プロセス。
- Mihály Csíkszentmihályi (1990). Flow: The Psychology of Optimal Experience. オートテリック経験、ルーティン作業におけるフローの研究。
- Kabat-Zinn, J. (2003). "Mindfulness-Based Interventions in Context: Past, Present, and Future." Clinical Psychology: Science and Practice, 10(2), 144–156.